*** 横濱専門學校マンドリン部について ***
母校神奈川大学は、1928年(昭和3年)に創設された横浜学院、翌29年(昭和4年)から旧制の横浜専門学校に変わり、1949(昭和24)年に学制改革により「神奈川大学」となりました。
この戦前期の横浜専門学校時代に「横濱専門學校マンドリン部」が存在しました。
活動期間は、1936年~1941年(昭和11年~16年)。
※大学が新入生向けに配布するパンフより抜粋
活動内容については、下記に掲載された定演の記事をご参照下さい。
ところで、この「横濱専門學校マンドリン部」が活動を終了した1941(昭和16)年は日本が太平洋戦争に突入した年です。この間の事情には、当時の社会情勢が如実に反映しています。
1940(昭和15)年、近衛文麿内閣による『新体制運動』という、戦争体制を強化するための国民運動が提唱されました。一国一党を目指して政党や労働組合が解散され、大政翼賛会が成立しています。
この『新体制運動』を受けて、学内にも『横浜専門学校報国団』という組織が結成されました(神大アーカイブの横専学報1941年02月25日 に「学園翼賛新体制横浜専門学校報国団結成さる ―新なる決意以て進まん―」という記事があります)。マンドリン部は、「報国団文化部音楽班」に組織されたようです。
同アーカイブの「1941年5月の創立記念祭夜間音楽会」という記事写真には、ステージの壁に貼られたプログラムに「マンドリン合奏 音楽班マンドリン部」とあります。この時期以降、マンドリン部は「報国団」の中で活動していたものと思われますが、詳しい状況はよくわかりません。学内も戦争の影響を受けて活動中止あるいは解散したのかもしれせん。上記の表を見ると、他の文化系クラブも昭和16年で活動を止めています。
さらに余談ですが、上記活動期間以前の話として次のようなものがあります(詳細は不明)。
《昭和9年、横浜交響楽団の創設者である小船幸次郎氏が、「横浜専門学校」のマンドリン・オーケストラを指揮してNHKのラジオ放送に出演したこと。演奏した曲はシューベルトの「軍隊行進曲」などであったこと》 ※「市民のオルガン 小船幸次郎と横浜交響楽団」(2007年)より
以上、僅かですが「横濱専門學校マンドリン部」について御紹介しました。今後も情報収集に努めますので、何か情報をお持ちの方、あるいは関係者を御存じの方、どんなことでも結構ですので当方までご連絡頂ければ幸いです(問い合わせフォームを御利用下さい)。
神奈川大学デジタルアーカイブ所蔵 神奈川大学60年のあゆみ より
神奈川大学デジタルアーカイブ所蔵 神奈川大学70年のあゆみ より